Curtiss R3C-2
1997〜1998

  

メリカバルチモアで開催された1925年シュナイダートロフィーレースでカーチスR3C-2は唯一複葉でありながら並み居るマッキM33、グロスターVA、スーパーマリーンS4強豪の中優勝した。平均速度374.2km/hであった。
シュナイダートロフィーは陸上版ピューリッツアートロフィーより古く1913年にモナコで始まる。当時の出場機はニューポール、モラーヌソルニエ、そして陸上で活躍したドペルデュサンレーサーが優勝。ド機は陸上機としてグノーム14気筒160hpエンジンで200km/hマークした洗練されたデザインであったが、双フロートと雲の巣よろしく張り巡らされた補強張り線の抵抗で98.2km/mまで落ち、陸上機を改造しただけの間に合わせ的様相が強かった。
その後フランス、イタリア、ドイツ、アメリカとしのぎを削りニューポール、スーパーマリーン、グロスター、サボイア、マッキ、カーチスなど複葉あり、飛行艇あり、よだれの出そうな個性派ぞろいが生み出され、終盤1930年ごろにはスーパーマリーンS6B、マッキMC72により陸上トンプソントロフィーレーサーを超える600km/h以上をマークした。
残念ながらこの1930年代を最後に国をあげてのレースは現在まで行われていない。

3C−2は陸上機として誕生したR3C-1の水上機版で、映画「紅の豚」に登場したカーチスR3C-0のモデルというと通りがよい。大きなフロート、胴体から生えたスパンの短い複葉形式が特徴で、パイロットの頭より上翼が低い機体は他にモダンレーサーのソーサリス以外に思いつかない。主役のポルコ駆るサボイアS-21(実在しない)は多くのRCマニアに製作されていることもありライバルカーチスで差別化すべく設計に入った。
当初ジェーン年鑑から3面図を入手し4サイクル50クラスを想定し完全スケールを狙ったが、微妙な3次曲面に降参し、三角材利用でこれまでにない軽量を念頭にき楽なFS26搭載セミスケールとした。

主翼は上下とも1.5mmリブを前縁2倍としプランク無しで羽布を再現、エルロンは上翼のみに面積大で骨組にて、黄色絹張りでスキンラジエーターをを表現したのは、軽量化と見栄えの点でこの機体一押。

 

 

  全長   :950mm
  全幅   :1060mm
  翼面積 :30dm2くらい?
  重量   :1500g(ポリフロート付                き)
  ラジオ  :4ch、4サーボ
  エンジン :OSFS26

 

胴体は2mmバルサ側板に三角材補強、ベニヤ胴枠に組み付け角丸成形は製作容易さ優先の工法。垂直、水平尾翼とも3mmバルサ板そのまま、動翼のみ1X1.5バルサ短冊を貼りつけ羽布感覚を再現(バルサ繊維方向がクロスになるため僅かながら強度アップにもなり簡単で効果大のお勧め)。エンジンカウリングは得意になってきた発泡スチロールオス型FRP成形にて特徴あるカムカバーのこぶを表現。排気管は面倒で省略、フロートも出来合いのポリエチレン製をサボイアオーナー君から調達(これが意外に重い)。〆て1500g、フロート無しの陸上版で1100gまずまずか。

 

 

 

1998年進水式は強風の桧原湖にて斎藤氏のサボイヤS21の墜落後さりげなく強行。落ちてなるものかと、スロットルを上げようとするとぼちゃんとエンジンから前転。フロートがやや小さめのようです、水抜きして再トライすると何とか離水、パワーが足りないのか風が強いのか、効きの悪いエルロンとあいまって迷走気味。
何とか着水したがテールヘビーの観。フロート先端に錘をかなり取り付け、フロート揚力による風圧中心ずれに備えたが不足、しかしながらさらに錘追加は滑水中の前転を誘発するため限界。

 

 

 

 

1999年夏秋元湖にてフロート位置を20mm前進させるとうそのようなすばらしい飛行。相変わらずロールレートは不足だが(私にとっては)ロール、ループも強風下差し支え無し。4ポイントロールはナイフエッジから背面へ移行できず、あわてて戻す結果に。重いフロートを90°の位置から持ち上げるエルロン能力なかったのだろうか、しかしながらレーサーよろしく急旋回は美しい湖の中圧巻で目的は達成されたのです。

 

 

 

 

パステル画

ディテール

黄色の色絹仕上げの翼にカッティングシートにて製作のマーク

 

 

OSFS26はエアー抜き穴(左)にてオーバーヒート皆無